ガララテーゼの集合住宅

イタリアから戻ってからずいぶんと時間が経ってしまっていますが、なかなかブログ更新のペースが上がりません。記憶が薄れないうちに書いておいた方が良いのでしょうが、「何を書くべきか」ということを考えて筆が止まってしまいます。こんなエクスキューズが枕詞になっていますが、気楽に書いて続ける事を優先したいと思います。

前回の記事にどこ旅行したかは書きました。その中でヴィチェンツァで見たパラーディオとフィレンツェで見たブルネレスキの建築物には久しぶりにショックを受けました。これらルネサンスの建築(ルネサンスという言葉で括っていますが、実際は1世紀以上、150年近く時代が違います。今をパラーディオの時代と考えれば、ブルネレスキは明治時代ですね…)を見て抱いた心の中の言葉にならないモゾモゾっとしたものを、うまく言葉にしていければと思っています。その前書きになるでしょうか…、今回はミラノにある「ガララテーゼの集合住宅」について。


言わずもがなですが、ガララテーゼの集合住宅は60年代後半から70年代にアルド・ロッシによってミラノの西郊外につくられました。偶然と言うか幸運にも、前に住んでいたパリのアパートの大家さんがガララテーゼにもアパートを所有していて、この度一緒にクリスマスを過ごしましょうという話になりました。その大家さんは日本人女性なのですが、イタリア人の旦那さんがミラノ工科大学で建築理論の教授をされていた方で、アルド・ロッシとも友人だったとのこと。

当初はニュータウンの様なかたちでこのエリアは開発されたようですが、想定ほど人口の増加がなかったので周辺には空地や駐車場が広がっており、スーパーも中心地よりの隣り駅にしかありません。そんなこともあってわりと殺伐とした風景の中にこの集合住宅が建っています。メトロの駅からはほど近く、目の前の道路は少し不自然にカーブしていてそれに面してというか、その道路に対して刺さるように、妻面を見せるようにして細長い長方形(12mx182m)のボリュームが配置されています。言葉では分かり難いかもしれませんが、そんなこんなで車道にそって歩いてくるとその182mの壁がどーんと見えるのが印象的です。この建物を見学に来る人は地下鉄を使う人が多いでしょうから、妻面のわりと素っ気ない佇まいの印象の方が強いと思いますが、車道から(隣り駅のスーパーから)のんびり歩いて来た時のそのボリューム感はまた違ったものです。周辺では高層の縦プロポーションの集合住宅が均一に並んでいるのに対して、イレギュラーなボリュームと住棟の配置は、画一的な郊外の風景の中で、駅前であるという立地と相まって、都市におけるノードが意識されます。

建物はこれまた言わずもがな、2層または3層分の列柱のピロティで住宅部分は持ち上げられています。道路側手前から敷地の奥に向かうに従って緩やかな上りこう配の傾斜があるために、ピロティ部が途中から3層分になっています。たぶんイタリアの都市の文脈がないとこういう空間はただの無駄なヴォイドスペースに感じられるかもしれませんが、アーケード、ロッジアといった建物前、あるいは建物下の半外部空間が都市の中で連続するということは、イタリアの中ではよくある事です。ここでは単体の建物ですが(でも実はエクスパンションで建物は2棟に分かれてもいる)明らかにそのミラノの都市の文脈と連続したあり方です。にしても、なんだかちょっと殺伐として、ドライな印象が強いです。

このピロティ、下の様な写真で有名なので建築が専門ではない人もご存知かもしれませんね。(セルフタイマーで撮りました…。)

ところでこの建物に泊めてもらっていたものの、さすがに個人宅なので写真のアップは止めておきますが、ロッシのエスプリはインテリアでの方が容易に感じられるかもしれません。分譲住宅なのでインテリアデザインは入居者がそれぞれですので、当然僕らが泊まらせてもらったアパートもその大家さんによってデザインされています。しかし、空間のスケールがちょっとおかしい。天井高、平面の寸法、建具の大きさなど全てのサイズが大きい。日常的に自分が接しているようなスケール感ではないなと思っていたのですが、そのスケール感はイタリアの古典を参照したものでした。もちろんそれを理解している大家さんは相応なゼツェッションのテーブルと椅子やガエ・アウレンティの若い頃のチェストなどを配置しているので、そのスケールはちょうどいいバランスを保っていましたが、家具のスケールやレイアウトも空間が変われば相応のバランスが必要であるなと感じます。


そんなことを思ってまたピロティや外観に戻ってみると、古典を参照した都市のスケールの連続性を感じることができ、腑に落ちました。どうもこういうスペースを人のアクティビティだとかで捉えてしまう節があるのですが、そういうレベルではなくて(アクティビティに対して)実体が備えている文化性、ここでは空間のスケールがそれを表象していて、その文脈の中で建築や都市を理解することが「都市の建築」を理解する鍵かなと思いました。