New Year 2012 in Siena

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

クリスマス休暇から元旦にかけてイタリア旅行に行って来ました。ミラノから入って、ヴィチェンツァラヴェンナフィレンツェシエナと廻って、パリに戻って来ました。パリにいるとイタリアへは飛行機で1時間ちょっとで行けるので、感覚としては東京から九州とかに行くくらいの気軽な感じで行けます。

ルネサンスの建築、美術からたいそう刺激を受けて帰って来たのでゆっくりと考えながら後々にこのブログにて報告したいと思っていますが、今回はシエナの新年の事を書きたいと思います。


シエナフィレンツェから電車、またはバスで1時間程、南の方角にあるトスカーナ地方の山岳都市です。ペルージャアッシジなどウンブリア周辺の都市もそうですが、防衛の観点から山の上に築かれているという事だったような気がします。シエナの都市の起源は紀元前まで遡って、ローマの都市としても発展しました。最も栄えた時期はゴシック期からフィレンツェとの争いで負けた15世紀の中旬頃までで、その間は他のイタリアの諸都市と同じくして貿易などで栄えていたようです。その間のゴシックから初期ルネッサンスにかけての美術もすごく面白いのですが、今回は都市の話で。

山岳都市と書きましたが、鉄道は谷道の低い位置を通っているようなので駅は街の外側、山の麓にあります。そこからバスで上って城壁内の都市に入ります。都市の形態は平面的には等高線のラインに沿って山を囲い込むような形をしているのですが、その中に大きな開析谷(台地をえぐるように入り込んで来ている谷)が入り込んで来ています。地図上で近くに見える場所同士でも実際に直線で行こうとするととんでもない坂を上り下りするか、大きく回り道をして行かなければなりません。
そんな感じですので、街中には階段や坂だらけで足腰が強くないと大変です。お年寄りは大変かもしれませんが、きっと日々の生活で強靭な肉体を手に入れている事でしょう。


さて、そんな都市の中心部に「世界一美しい広場」と誰が言ったかは知りませんが「il campo」という広場があります。鐘楼を携えたpalazzo communale(共同体宮殿?シエナフィレンツェと同様、共和制都市国家でした。)を直径とするほぼ半円形の平面で、すり鉢状に中心が下がっています。半円の円周部には建物がほぼ隙間なく並んでいて、外側からは建物に穿たれたアーチを階段を下がりながらくぐって入ります。そこでパッと視界が広がるすり鉢状の広場は強力な中心性を持っていて、古代ローマの円形劇場を思わせる空間です。事実、その広場で宗教者が説法をする絵が残っているので、市民が集う場として機能していたものと考えられます。現在でもpalazzoの中には美術館があり、広場を囲む建物にはレストランが並んでいるので、日常的に市民が集う場として今もしたしまれているようです。ちなみにシエナは街全体が世界遺産です。



さてイタリアの年明けは爆竹と花火で大盛り上がりです。僕たちはレストランで食事をしている間に年明けをしてしまい、周りの人たちはプロセッコを空けて乾杯。食事を済ませた僕らは人並みをかき分けて上述のil campoへ。



!!!! なぜインド!! これが世界遺産の街、シエナの真実の姿!?
これにはそこに居合わせた人の全てが驚いたと思うのですが、新年のイベントとして12時過ぎてからDJによるイベントが街のど真ん中の広場で開催されたのでした。しかもなぜかインドから始まり、東欧系、アフリカン、ブラジリアンと世界各地の音楽でDJ。それに合わせてVJをpalazzo communaleに映し出す。プロジェクションの大きさがpalazzoの壁の大きさですから、恐らく僕が今まで観た中で最大級のVJのスクリーンのサイズです。そのスケールには広場にいる人たちみんなが圧倒されたと思います。

動画はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=as8J07ZSKdQ


ちなみにこのイベント、シエナ市が企画して毎年何かしらの出し物をやっているそうです。以前にはシエナ出身の歌手がライブをしたそうです。こういうイベントは若者たちだけが集うのかと思いきや、僕たちの目の前にいた2人組みは2人ともおばあさん。僅かに音楽に身体を揺らして、新年のイベントを満喫しているようでした。
こういうイベントを企画出来る行政の力、日本では考えられないですね。「世界遺産」としてこのような建築や美術を守る事も大切ですが、どのように守るのか?ということも同様にとても重要な問題だと思います。シエナはそういう「世界遺産」を都市として利用して、現在でも生きられた都市として守っていこうとしているのだと思います。美術品単体ならば「保存する」ということは可能かもしれませんが、都市はやはり人の生活があってのことなので、いわゆるそのまま「保存する」ということを持続することは難しいように思います。シエナのみならずイタリアの伝統として、古いものの良い部分を残しつつ新しい部分を付け加えるなどしてリファインしていくという発想があるのだと思います。そういうアイディアは特に都市を相手にした時には、素晴らしい成果が得られるのだろうという事を感じますし、イタリアの都市では実践されていると思います。

このシエナの話は僕が今回の旅行で感じた、イタリア都市のあり方の1つの象徴です。折りをみて他の記事でも書きたいと思います。