ユートピア

明けましておめでとうございます。と言うには遅いくらいで、もう1月も半ばになってしまいました。2003年の留学から細々と書き続けて、時には止まっていた本ブログも今年が11月になれば丸10年ということになります。

さて掲題の「ユートピア」は前回のブログで予告して、年末には読み終わっていたのですが手が動かず、時間が経つとともに記憶が薄くなってきたので、ページを捲りながら。

ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のラテン語ベースの造語で、イギリス人のトマス・モアが16世紀の初頭に書いています。ホルバインが描いたトマス・モア像というのもあるのですね。

若い頃のエラスムスとの出会いが大きな転機となっていて、いわゆる人文主義者(humanist)として通っているようです。ヘンリー8世(暴君)に仕えていましたが、イギリス国教会を設立するだなんだの局面でローマカトリック側についたために異端扱いされて、処刑されるという悲しい人生の終り方をしている人でもあります。

ユートピア」は2部構成になっていて、1部にはモアが知り合いになったラファエル・ヒスロデイという賢人が語る、という形式の物語で、主に当時のイギリス社会への皮肉を込めた批判が書かれている。作者が誰かに話を聞いてそれを物語にするというのは、「ドンキホーテ」を書いたセルバンテスも使っている手法です。「ドンキホーテ」も同様に社会風刺的な側面も無きにしも非ずなので、直接作者が社会を批評するという形式を緩やかに避けているレトリックとでも言えるでしょうか。

2部にはヒスロデイが行ったとされるユートピアの有り様が描かれています。まともに書くと長くなるのでこちらを参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユートピア_(本)


wikipediaでも指摘されていますが、そこには共産主義の萌芽を読み取る事ができますが、それ以上にこの時代に一部で広まっているヒューマニズムの影響を見て取る方が良い気がします。このヒューマニズムが現代まで続く「個人」を始めとする社会の礎(実際問題はともかくとして…)となっており、本書には「個人」が駆け出したてのそのプリミティブで理想的なあり方が描かれているのだと思います。(ユートピアにはたくさん奴隷がいるようですが…。とはいえ、その扱いは彼らにとって絶望的なものではなく、行いによっては一般市民に返り咲く可能性がある。現代の受刑者的な扱いです。奴隷貿易などをしていた時代を思えば、よっぽどまし。)ところで歴史上の定義ではmodernは15世紀の終わり頃から始まるということになっていますが、ヒューマニズムが近代を経て現代まで連続していると考えると、この本もただの空想的(ユートピア的)読み物ではなく、現代の社会と照らし合わせながら一考する価値もあることでしょう。