代田の町家

某雑誌の取材に同行。坂本先生、ICUの長田さん、編集の長島さん、カメラマンの今井さん、僕というメンバー。一応、編集の方に誘ってもらったんだけれど、先生の部屋の人間でもあるし、立場的には微妙な位置。先に長田さんらと駅であう。作品は少しだけ知っているけれど、人となりを知らなかった長田さん、とても気さくで話しやすい方でした。あとで先生が言っていたけれど、まあ何となく(ある意味)良さそうだし。
知る人ぞ知る、この住宅。水無瀬の町家の後の代表作でしょうか。坂本好きの間ではかなりの評価。1976年竣工は安藤さんの「住吉の長屋」と伊東さんの「中野本町の家」と同じ年。それら作品と並べるとよくわかります、この住宅がいかに他のものと距離を取っていたかということを。敷地は世田谷のダラダラと続く住宅地の中にあって、街路と裏側の川を暗渠にした遊歩道に挟まれています。街路側手前から、車庫、外室、主室、遊歩道と空間が連続していきますが、それらの間を水平の構成材で分節しています。当時の新建築の論文にも書いていましたが、壁や柱のような鉛直の構成材はある象徴的な意味を帯びてまう。人の視線に対して大きな面積を占めるのが壁であったりするので、その象徴性を消去するために水平材が多くでてきます。主室の天井高は2層分くらいあるのですが、遊歩道側はベンチ、そして1800mmの高さにさらに水平のプレート、その上に開口といったように、なるべく大きな一枚の壁が現れないような操作をしています。これまではおおむね論文にも書いている内容。ここで僕がなるほどと思ったのが、その壁の作り方。米杉縦張のEPなんですが、もちろんその目地は鉛直方向に現れてくるわけで、わざわざそうした上で水平材を入れている。もし上述のようにある種の象徴を避けたいのであれば、目地が水平に現れるようにすればそれだけでも象徴的意味を消去する方向に働いたと思います。しかしそれをしないのは、ヴェンチューリの言葉を借りれば、対立性によってこの象徴性の消去を強めるためである、と。お互いが対立的に併置されることで、インクルーシブな状況が作られていると言えると思います。
あと坂本作品が素晴らしいのは言葉では書けない「身体性」というものを存分に感じるというもの。長くいればいるほど、建物がだんだん自分の身体にフィットしてくる。とても気持ちのいい衣服を纏っているような感覚です。この感覚を得られるような設計ができれば、一流なんでしょうが、なかなか出会えないものです。
撮影は5時間に及び、近くカフェで先生と長島さんと3人で歓談。70年代の建築の状況から現在までの流れをみんなでおさらい。建築家としていかにして長くにわたり作品を連続させることが難しいか、といったことを。