Phoenix Building

これは正確には10月16日付け。ISHHO Architectsの江戸川区のほうにある、共同住宅兼オフィスのオープンハウスへ。駅から徒歩10分ほどの場所にあるのだけれど、その駅周辺というのが僕にとっては東京らしからぬ場所。山手線の東側の東京には典型的かもしれない、のっぺりと低層の住宅地が続く街並。西側と違って江戸川や荒川がつくる三角州によって延々とフラットな地形が続くような所。(正確には江戸期以前に埋め立てられた場所のようですが、一見するとそれらの三角州のようです)そのまた通りの裏側に6階建ての薄いすみれ色に塗られた建物。
階高が非常に低く2500mmなので15mくらいの高さですが、周辺からは1つ頭が飛び出しています。1階が事務所で2〜4階に計8戸のワンルーム住宅、5,6階がオーナー住戸という構成。エレベーターと階段からなるコアが中心を通っていて、それが同時にメインの構造になっている。外壁面には一見ランダムに窓とテラスが開けられているが、構造が縦に柱的に通っている箇所とその間を市松状に埋める壁で垂直力をもっているらしい。それが180mmの床スラブでコアに繋がれています。外観でちょっとコンクリートの塊感が気になったんだけれども、インテリアではそれを感じさせない、とても軽い。藤村さん本人も言っていたけれど、梁型、柱型が一切出ていなかったのが大きい。コアにPSがとられていて風呂トイレはすべてコアよりに配置されて、換気ダクトが露出されたまま室内を横断して、テラスに繋がれている。キッチンもテラスの脇に配置させられて、縦に貫通するキッチン用のパイプに繋がれている。コアよりに配された風呂トイレはガラス張りで、部屋の中心を占めるもそこまで圧迫感はない。その周りをコの字型のスペースが回っている。藤村さん曰く、すべての要素は腰高の850mmで上下に分割されている。クロゼットは850mmより上に浮かされていて、下駄箱はそれよりも下。ガラス張りのスペースも850mmまでは腰壁でそれより上はガラス。窓も然り。キッチンの高さも然り。アイディアの中心はここで、階高2500mm、天井高2200mmのワンルームに広がりをもたせるには水平方向の広がりをもたせたかったとのこと。850mmを基準に分節された空間は、全体的に横長になって広がりが体感できるであろう、と。そこは成功していて、露出しているものはその寸法の中で整理されているから、きれいにまとまってるしうるさくない。
ところで今月の新建築に書かれていた内藤廣さんの巻頭論文と島根の芸術センターに関する内容が想起されました。タイトルは「建築に何が可能か」と以前の原広司の論文を引き合いに出して書いています。内藤さんの書いているところを今回の日記用に乱暴にまとめてしまえば、「プログラムとサイトを超えて、建築が建築として存在する根拠を、建築家は提出しなければならない」と。これを僕は若手の建築家の批判とも読み替えたわけです。ちょっと矮小化してしまうけれど、例えば富弘美術館に代表されるゲーム的なプログラムの解き方、それです。建築のプログラムというのはだいたい施主から与えられていて、それを解くために方程式をたてることが、上述のような建築の主題になっているように思います。その方程式は同時にサイトも含み込んでいて、最終的にうまくいっているものは、その方程式がもちろんうまくいっているわけですが...なんだか、そんな風に帰納的に考えてしまうと、納得するようなしないような。実は論理の堂々巡りで、トートロジーに陥っているともいえるような気がします。
さて、Phoenix Buildingに戻ると、内藤さんの言わんとするところにこの建物がどれだけ答えられるのだろうか、という思いがしました、もちろんプログラムが違うのですが。そしてもちろん上述の作品の説明では言えない、建築の解法ではないもの、を。僕が感じるに、この建物はインテリアだけで見ると、どの部屋も似たようなものですが、外との距離が各部屋で全く違う、また同じ部屋でも各窓で全く違う。ある窓からは隣家の瓦屋根が目の前に迫っていたり、別の窓からは隣地の畑を介して広々と外部に繋がっている。そういう様々な距離が自分の身体とどのように結びつくか、その結びつき方が単純に距離の差では説明し得ない、とても新鮮な体験でした。そんなことが「建築の存在論」に繋がるかどうかは、、、