藤村龍至展

その後、たまたまフジムラさんがいたこともあって、外苑西通り沿いのギャラリーで行われている彼自身の展覧会へ。高円寺の集合住宅と棚がぐにゃぐにゃっとした「ウツワ(?)」というインテリアの2作品を中心にプレゼンテーションされている。その見せ方がとにかく30数個のスタディ模型を順に並べるというもの。以前からたまにフジムラさんと話をしていて、機械的というかそんな印象はあったのだけれど、そのスタディ模型を並べるというプレゼンはまさに。最初は単純な条件からスタディをスタートして、条件を重ねていくことで形態が変化していくという説明。
彼の説明の中に「ファーストインプレッションで作るのではなくて、できるだけ恣意性を取り除く。その為にスタディを重ねる」といった旨のことが書かれていた(言葉はかなり違うだろうけれど)けれど、スタディを重ねるのは当然のことで、その時その時である種の判断を下すのはやはり作家個人だと思うのだけれど。確かにちょっと前に、みかんぐみに代表される作家性を消すためのユニット派の議論はされていて、最近ではそんな議論もぶっ飛んじゃって一個人としての建築家であるとか、施主のライフスタイルであるとか、そういう私的な個人に焦点を当てているものが多くて、そうなるとそれぞれがただのバリエーションにしかならなくて、食傷気味になってしまうのは事実。そういう建築界の状況にある種の批評性を、このフジムラさんは投げかけようとしているのはチャレンジとしてはよくわかる。つまり個体数nを増やすことで個人の意志の濃度を薄くしていくようなみかんぐみ的な作家性の消去ではなくて、工学的に解くことでの作家性の消去というスタンスです。
でもスタディの各時点での必要に迫られる判断は100%工学的に解けるようなものではないでしょうし。スタンスは理解しつつもその辺りの矛盾をどのように消化していくのかは今後に。
あとはそのお話はあくまでも設計プロセス上のお話であって、その工学的に作られたモノそのモノは十分に工学的な側面が表現されているかは疑問だし、雑誌に発表する時は非常に難しいだろうな。雑誌だのそういうメディアの特性上、ゴールのイメージを時間を止めてみせることしかなかなかできないだろうし。なんらかの工夫は必要かなとも思います。

その後、遅い昼ご飯を青山で食べて、エルナンと流行りのミッドタウンへ。いわゆるショッピングモールで愚劣の極み。つまらん。安藤さんの建物も特記すべきはないか、外観は。前でスガに会う。入場料がちょいと高いし、安藤さん自身の講演会がやっているということもあって、混み混みで入る気が全く起こらなかった。
3人でアイスを食べて、一人で新宿へ。修理が一向に進まないので、我慢できずに自転車を購入。ラレーのRF-7というモデルです。うれしー。
ご機嫌な状態で、森山さんと再度会って、飲む。2人で飲むのは初めてだけれど、修士の同期でもあるし、同じく建築設計をやっているので、いろいろと話すことはあった。2件目に行った、ワインバーがすげー高かったなあ。