The Magdalene Sisters

cube32006-05-14

邦題は「マグダレンの祈りヴェネツィア映画祭の金獅子賞を受賞した作品。1960年代のアイルランド原理主義的なキリスト教の戒律と修道院、教会側の堕落をテーマにした作品。従兄弟にレイプされてしまった女の子は現代ではもちろん被害者なのだけれど、当時では婚前交渉をもったということでその女性が一族の恥として扱われてしまう。同様にして、私生児を身籠ったりするのも許されるわけはなく、中絶は許されていないため出産するも、すぐさま敬虔なキリスト教徒夫妻のもとに養子に出されるか、孤児院送りである。それら女性はその淫らな心を清めるべく修道院に強制的に収容されてしまうのだが、その収容所(修道院)がまさに人権のない監獄状態だったようで、常に監視され、朝から晩まで強制的に労働させられる。労働はクリーニングで、汚れを落とすという行為が身に付いた汚れを落とすという発想につながっていたらしい。以上は全部、60年代以降にも実際にあったことらしい。
アルモドバルの「Bad Education」やら「アマロ神父の罪」やら、どうも欧州にはキリスト教における指導者的立場の人間の汚職が糾弾されるし、映画のテーマになり得るということは、それら宗教が社会的な組織の中で機能していて、現実的な力を持っているからこそだろうか。日本やアメリカではこんなことはテーマにならないんじゃないかと思ったりもする。寺の坊さんがいくらキャバクラが好きだからって誰もそんなに問題視はしないだろうし(織田無道なんかフェラーリに乗ってたっけ)、やはり宗教が日本人の文化的な側面は担ってるにしろ、社会的な力を持っていないからだろう。
とここまで書いておいて、そんなに社会、文化とかって両者が不可分であるように書いてしまうと、それも違う気がするが、少なくとも平均的には現代の日本では考えられないことが、ちょっと前のアイルランドであったことだし、現在もどこかであるのだろうなと思ってしまう。