歴史的、地理的

ヤフーメールを使っているせいで、日本のニュースをヤフーのニューストピックスからよく見ています。各項目(国内、地域、海外、スポーツ、芸能など)からある程度均等にニュースをピックアップしているようですが、度々思うのは「そんなニュース、わざわざ取り上げなくても...」ということです。昨日今日と兵庫県の神社の一番福の競争のことが書いてありました。毎年山門から境内のお参りをするところまで駆けっこをするらしいですが、去年ゴール前で転んだ人を勝たせるために仲間の消防士が周りの競争相手を妨害したそうです。この説明の文章をわざわざ書くのも手間がかかりますが、とにかくけっこうどうでもよさそうな記事がトップページに現われるわけですね。ちなみにTVでそのニュースを見ていた数十人の視聴者が、神社や一番福の人が勤める大阪市消防局に抗議の電話を入れたそうです。
結局、重要なのは抗議があったということなんでしょう。僕なんかが思うには、別にどんな職業に就いている、何歳の、だれだれさんが一番福になろうとも、一番になるために仲間を使って妨害しようとも、視聴者のだれ1人として迷惑になる人はいないでしょう。とあるニュースキャスターが失言、暴言を吐いて具体的なだれかに危害を与えたりするのとはわけが違う。ちょっと飛躍した考え方ですが、このような日本の伝統的行事はいわば日本人の聖域であって、それが小さなことであれ違反、つまり伝統を汚すようなことは先天的(かのよう)に許せないようにインプットされているんでしょう。実際、ニュースの記事を読んでみるといかにこの行事が、いかに歴史あるものかということが、一段落目に書かれていたりするわけです。
今読んでいる寺山修司の本に歴史と地理を比較して書いているエッセイがあります。日本人は歴史重視で地理には目もくれない。(彼は歴史嫌い、地理好き)メタファーとして歴史的なるものと地理的なるものを考えていて、とある連続殺人犯は歴史的に物事を考えてしまい、地理的なるものを発見出来なかったために、その犯罪に至ったということを例にあげてました。
自分でも「歴史的」、「地理的」をうまく消化出来ていないので、うまく説明できませんが、なんとなく頭の中でニュースと本の内容がリンクしたので徒然と書いてみました。いずれ整理できたら、稿を改めたいと思います。