旧吉野家

cube32005-11-06

兄の引っ越しの手伝いで青梅に、実質は手伝うことなんて何もなかったのだけれど。代官山に住む兄は3月まで昭島で働くことになる。通勤時間が2時間以上になるために、どうせ賃料も安いので青梅駅の目の前のワンルームマンションへ。ひと月、3万円也。青梅駅周辺は昭和の街並を再現する運動らしきを繰り広げていて、昭和初期の映画の看板がやたらと飾られていて、なんだか不自然。そんなことに力を入れているわざとらしい建物よりも、自然に残っている昭和初期から戦後くらいにかけての建物が残っていたりして、そちらの方がおもしろい。大地震が起これば、必ず倒壊する建物たち。やはり開口の量と納まりが、現代の建物とはずいぶんと違うので建ち現れもかなり違うものに。
帰宅途中には青梅街道沿いにある、旧吉野家の住宅へ。小平だか青梅だかの開墾を指揮した庄屋というか、農家の古民家。農家とはいえ、ずいぶんと大きな住宅で地位的にもけっして低いわけではなく、裕福なお家だったよう。軒高3m強、棟高は10mほどなので外観の70%は屋根ということもあって、外観の屋根の存在感は圧倒的。最近、葺き直したらしい。檜だか、針葉樹の皮らしい。僕には茅葺きにみえたけれど、皮だって説明された。間口が15m以上、奥行きも10m程度ある平面は、典型的な田の字型プラン。正面右手、東側に土間があって、その左手が田の字に分節。欄間までの高さは6尺弱だけれど、天井高がけっこう高くて3m強はあるか。正面の左手にはちゃんとした玄関があって、玄関を持てるというのは農家でも身分が高い証らしい。槍を掛ける台もあったから、武器の携行も許されていたのかもしれない。田の字の分節線の一部は押し入れや、仏壇で出来ていて、押し入れは両方から使えたりして、なかなかおもしろい。勝手だけ天井が低くなっていて、その上に2層分天井裏に上れるようになっている。養蚕のためのスペース。
建築的に興味を持ったのは2点。ひとつは部材の巨大さ。大黒柱はもちろん、梁も非常に太くてその存在感は圧倒的。2次部材はもちろん小さなスケールなので、そのスケールの対比がその存在感を生み出しているのか。部材のスケールというのは、現代のレディメイド製品で作られる建築では画一化されている中で、ひとつの建築的なトピックになりうる可能性はあるのかなとも思う。コストを度外視すればの話になっちゃうけれど。2点目はその空間の陰鬱さというか、時間を背負った漆黒の空間そのもの。もちろん建築当初はどの材料も明るい色をしていたのだろうけれど、長年にわたるいろりの煤で見事に真っ黒に。しかもちゃんと管理されている、ちゃんと磨かれているので、空間が黒光りしている。ヌーヴェルのリヨンオペラ座みたいなかんじ。掃除の手の届く範囲で黒光りしていて、(おばちゃんの)手の届かないところはざらざら。時間を背負った空間というのは、何ともいえず迫力があります。これはその場に身を置かなけりゃわからない。