国境の南、太陽の西

東京奇譚集」をきっかけに、母が今までの村上氏の著作を全部本棚から出してみました。その中から多少、内容を忘れているものを、と思い2日で読破。92年の作ということもあって、処女作から一貫した一人称での「ぼく」という書き方で、その「ぼく」が小学生の頃の話から始まる。僕(本橋)はどうも最近のこの歳になってから、青春ものに弱くて、この著作はそんなエッセンスも十分に入っている。蛇足ですが、「モーターサイクルダイアリーズ」とか「天国の口、太陽の楽園」といったガエルガルシアベルナルと青春ものの組み合わせはナイスです。
加えてやはり氏の著作に一貫している、ある種の喪失感、人としての欠損のようなところが、深く沁み入ってきます。人の不完全さとそれに苦悩しつつも、後には戻れない、前を向くしかない。といったこと。
「あれと同じだよ。この世界はあれと同じなんだよ。雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだよ。虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。でもいずれはみんな死んでいく。死んでからからになっちゃうんだ。ひとつの世代が死ぬと、次の世代がそれにとってかわる。それが決まりなんだよ。みんないろんな生き方をする。いろんな死に方をする。でもそれはたいしたことじゃないんだ。あとには砂漠だけが残るんだ。本当に生きているのは砂漠だけなんだ」