暇の過ごし方

スチャダラパーの曲でこんなのがありました。僕が中学生の頃聴いていた音楽は、もっぱらスチャダラとフリッパーズギターだったんですが、とりわけスチャダラのおもろラップは未だに記憶しています。その当時は部活の練習が終わって、暗くなっている体育館と物置の間のサッカー部のたまり場でサイドバックの清水と毎日ラップしていました。今の僕からはそうぞうが出来ないでしょうが。現在はすっかりハウスばっかり聴いているし、B-BOYとは対極ともいえる位置にいるかもしれないし。
とにもかくにも「暇の過ごし方」は暇礼賛の曲でした。忙しい現代人の生活に対する多少の皮肉がこもった歌詞です。そこにある指摘はなかなか良い線いってます。
「暇だねーってよくいわれる僕、いわれると確かにそう思う。気がつくとなんだか罪悪感、感じてる自分....」
「暇になる不安それは何だ、怖いのはただただある時間。縮めることも減らすことも、ましてや消すことも不可能」
こう活字にしてみると、なかなか良いこと書いてますよね。
なんでこんなことを書いているかというと、まあ僕が若干暇になったからなんですが、そしていろいろなことがうまく行かない。ちょっとイライラすることがあったんですが、そんなのは気分転換して金がないのにCDを購入。それはそうと、貧乏暇なしって言葉を信用していたんですが、最近は疑っています。