文化の成熟度

うちの先生の巡回展の関係でスペインからFさんが訪れる。研究室内の展覧会担当がなんとなしに僕にバトンタッチされているので、僕も打ち合わせに参加する。その中で話題になったのは文化の成熟度に関して。基本的には欧州巡回展を基本に考えている先生はその理由を各国の展覧会理解度で考えているようだ。というのは、中国やアメリカといった国の各地から開催候補として手があがっているらしいが、やはり基本路線は欧州、しかもできるだけ西側をベースに考えているよう。例えば現在開催されているミュンヘン展などは講演会の聴講者もかなり大人が聞きに来る。日本で講演会が行われた時の学生の比率を考えると、たしかにいろんな意味で成熟度が高い。理解の仕方もドイツの人は理性的というか科学的というか。今日打ち合わせしたスペインでの理解のされ方は、より感性的であろうとの見方。Fさんはついでに北欧建築とラテン系建築との親近性も指摘して、とくにミラーレスなんかはアアルトからかなり影響を受けているそうです、というか勉強している、これまたいろんな意味で。その辺り、西欧系の文化の成熟度から考えると、恐らく中国では「正しく」は理解されないだろうということはある程度納得できる。
それらの話を聞いていると、吉本隆明の「アフリカ的段階について」ってのが浮かび上がりました。僕の浅はかな知識からすると、文化、思想あるいは宗教にはアフリカ的段階、アジア的段階、そして西欧的段階があると。西欧的段階は前者2つを通って成立し、アジア的段階も然り。だからといって西欧的段階が進歩しているってことではなくて、それら段階の差は地理的条件から生まれるものなんだけれど、根本的にバックグラウンドがお互いに違っているから、お互いは違って当然。イマイチ僕も分かってないですが、とにかく僕の先生の思考はそういった文脈に乗せて考えてみると、文化的成熟度という言葉からも読めるように、思想的には西欧的段階に自分の足場を固めて考えているだろうし、その枠の中での「正確な解釈」を展覧会を通じて期待しているんだろう、と。
でも作品を見た途端その西欧的段階の作品かと言われるとこれまた疑問符がつくわけで、どちらかと言えばアジア的あるいはコモンシティ星田などはアフリカ的なものにも相当近いように思えます。それは彼の師である篠原一男も以前に言ったことだけれど、「あれはアフリカで見たことがある、チープな集落だ」と。(もちろんこの時の「チープ」という言葉は否定的な意味ではありません。)あるいは近作のHutTを見ても立ち現れとしてはよっぽどアジア的で、北欧の木造建築とは一線を画すものがあります。そういう意味では、作品上ではアジア、アフリカ的段階が表現として表れていて、思想的には西欧的段階(ドイツ的かな?多木さんとの距離を考えても)でものを考えているといえます。欧州側にしてみれば、西欧の文脈でアニミズムを含んだような、いわばエキセントリックあるいはエキゾチックな対象を語るわけですから、そりゃその語り口に親近感を抱かざるを得ないでしょう。
ただこれがアジアや他の国ではどう見られるか?それは恐らく予測のつかないことで、そこの坂本作品に対する誤読が出てくれば、それはそれで興味深い、というか彼の文脈に改めてフィードバックできる可能性があるだろうにな、ってそう思うんですけど。近頃は自作の語り口を変化させているようだし。そこが少し残念でなりません。