再び慶応仏文

仕事終了。これで晴れてバカンスです。だからッてわけではないけれど、以前に家に押しかけてきた恵美子さんとまーくんといつも通り田中くんの4人で飲む。前者2人は慶応の仏文出身でことし博士論文を書いているらしい。2人ともいい歳で、まーくんは34で恵美子さんはその先輩だから更に上。相当、若い、2人とも。なぜか僕らは妙に気が合うようで、なんとなく問題意識が近いというか、というよりも、僕の興味のあるところに彼らは詳しかったりするし、彼らにしてみても僕らみたいなのは珍しいみたい。そう、お互いにかけ離れたところに立っているんだけれど、多少向かい合っているところがあるみたい。
彼らが僕のことを「レアリスト」「マテリアリスト」と言ってみたり、「新人類」と形容していました。前者は仏文と建築との間で、仏文は究極的に概念の中で思考しているというのに対して、僕らは建築という物理的、即物的、すなわち「もの」ですね、それが思考の触媒になっているということ。
後者は彼らがジェネレーションギャップを感じての発言なんですが、僕があまり日本人ということよりも、アジア人であること枠組みの方が意識している、ということに対して、彼らはあくまでも日本という枠組みで考えている、その差。僕のことを「生まれつき国際人だ」なんて言われましたが、決してそうではなくてアジア諸国間の確執に対する意識が僕の場合極めて低いし、僕らの世代でそうなりつつあるのかもしれません。別に中国人やベトナム人に間違われようが不快感は感じませんから、僕の場合は。結局、フランスにいて線引きをされるのは日本人か韓国人か、ではなくて、アジア人という枠。まあ、あるいは僕の顔だちがもともとそっちに近いっていうのがあるかもしれない、そうなりゃ世代じゃなくてやはり僕個人の世界観ですね。
とにかくそんなこんなで僕に対する色んな評価をボキャブラリー豊かに表現してくれるので、僕としてはそれがすごく新鮮で、下手に褒められるとかいうよりも、よっぽど話していて楽しい人たち。仏文だけあって、話は理路整然としているし、説得力を備えている。僕の人脈で貴重な財産といえる人たちです。
幼児虐待から憲法論、下ネタまで幅広く会話を楽しんだ一晩でした。