なぜイタリア人男性がもてるのか?

まあ、とにかくよく喋るって事なんでしょうけど、晩ご飯を食べた後に更に隣人のイタリア人女性アレクサンドラおよびメキシカンのモニカにパスタの晩飯に誘われました。まともにイタリア人に晩ご飯を御馳走になるのは初めてなので、期待を込めてその日2度目の夕食を御馳走になりました。基本的にはソースの味が濃いのではなくて、麺に既にしっかり味がついていて、トマトソースはそんなに塩っ気はない。チーズの風味を、と、まあ、パスタは予想通り美味しかったのですが、とにかく既に割腹の良いマンマ体型になっているアレクサンドラはとにかく良く喋る。メキシコ人もある程度よく話すとは思いますが、イタリア人の彼女は勢いが違う。スピード感のあるフランス語について行くのがやっとで、聞く体制になっていると全体の論調が「りょうすけが黙ってしまった」などという話に。で、話は日本人は静かでも、誰も話していなくてもその沈黙は苦ではない。(あくまでも彼らの認識では。これはたしかに理解できる節があって、沈黙がどれだけ静かなら沈黙か、という差が大きいと思う)イタリア人(恐らくフランス人も、かなり)は話し続けていないと不安になるそうだ。で、それは老若男女において共通で、よくはなすイタリア人男性はうまく女性を口説ける。一方、女性は話過ぎでもてないらしい。逆に日本人は話さない男はもちろんもてなくて、物静かな日本人女性はもてもてになる、という結果に。
もちろん一概にはそうとは言えないけど、総括的に見てこれはかなり的を得ているだろうと思う。僕としては、言葉が多い女性も、寡黙な男性も良いとは思うのだが(自己弁護)、世界に共通しているのはその逆が好まれるということのようである。