ライシテの原則

さてなんでフランスがテロの標的になるのか?フランスは日本やイタリアと違い、イラク戦争は断固反対の姿勢をとってきました。恐らく、そこに関してはテロリストたちに抵触する要素はなかったと思います。ただ最近「学校におけるスカーフの着用を禁止する」法律が可決されたためだと思います。もともとフランス共和国が成立以来、日本語で言う「政教分離」が厳格に行われてきました。例えばアメリカだと大統領が就任する時に「神の名の下に...」らしきことを言いますよね。つまり国を挙げてキリスト教を信じているわけですが、フランスではそのようなことは一切なく、むしろ公の場に宗教を持ち込むことを一切禁じています。これがライシテの原則。それでここ数年議論されているのが、学校でイスラム教の女生徒がスカーフを被っていいものか、の是非。詳しくは書きませんが、それが結果的に非になり、上記の法律が可決されました。それを受けてのイスラム教の過激派のテロではないでしょうか。

話は戻ります。僕はテロを容認はもちろんできませんが、テロリストのやるせなさみたいなものは多少わかる気がします。やはりもともとアメリカは戦争をするべきではなかった。思ったより早く終わって万歳、みたいな報道をしていたマスコミに対しては非常に腹が立ちます。あくまでも戦争を仕掛けたのはアメリカです。国が国に攻め入るというのは、どんな大義名分をつけたからって現代社会(それ以前でもそうですが)では許されるわけがないのです。そのために国際連合という組織がある(もはや、あった、という表現でもいいかもしれない)わけです。想像しましょう、破壊兵器を持った人間が自分の住んでいる土地に踏み入ってくる光景を。もとよりイラクの人々が国連でなされていた議論も何もかも知らないで、いきなり軍用機が上空に飛んで来て、爆弾を落として帰っていくところを。そういう事情を踏まえると、テロリストたちの気持ちも分らなくはない。正当に抵抗しても瞬く間に鎮圧されてしまう。そもそもアメリカがリードすべきの民主主義は常に反対の勢力も包含する形のものだと思います。議会には与党もいれば、野党もいる。反対勢力を包含する器が今のアメリカにはないのでしょう。テロ行為ではなくて、真正面から抵抗できるゆとりにかけているんだろうと思います。
そして僕達、日本人に欠けているのは想像力。身の回りで起こらないことにリアリティを感じることで、これらのやり取りは多少違った風に見えるかもしれないと思います。