あるべきものがそこにあることの大切さについて

cube32006-01-15

僕はあと2ヶ月ほどでやっとこさ生を受けて四半世紀経つことになるわけですが、その25年のうちの大部分を共に過ごしてきたマイケル(トラ猫、17歳)が病気のために入院してしまいました。もちろん猫にとって17歳といえば、人間に換算すると80歳以上の高齢で、その歳を考えると仕方がない、と頭では解かっているのですが、どうにもこうにも気持ちというのはコントロールできないものです。マイケルはいつもリビングの窓際に置かれたソファに寝ていて、常に視界に入るポジションを取っていたわけで、実質的に僕は家族の誰よりも、彼と一緒にいる時間が長かったかもしれません。その場所がぽっかりと空洞になっているような感じ。もちろんその場所は今も目の前にあるのだけれど、いるべきマイケルがそこにいないことで、そこが絶対的に空虚な場所になってしまっています。もちろん僕の心の問題なんだろうけれど。
今日、母が病院にお見舞いに行ったところ、一応は快方に向かっているようで、すぐに危険な状態になりはしないよう。その話を聞いてどれだけ胸を撫で下ろしたか。居なくならなきゃわからない、失って初めてわかるそのものの価値とはまさにこのこと。明日の朝一には僕もお見舞いに行ってきます。
ちなみにどこが悪いかというと、年老いた猫はみんなそうなりやすいらしいけれど、腎不全、あとすい臓。腎機能低下に伴う頻尿→脱水症状→心臓の機能低下、ということらしい。とにかく猫は塩分の取りすぎに注意だそうです >猫を飼っているみなさま