サッカーはやっぱり政治じゃなかった

今日みたいな試合展開をされると、やっぱり涙が出そうになっちゃいます。どうもサッカーに関しては涙腺が弱いというか。夕方に坂本先生とも話していたんですが、自分としては日本人というより、アジア人とかそれ以上の枠組み、あるいはそんな物はないと考えているはずなんですけれど、どうもサッカーのことになると別です。やっぱり強い思いが入り込んじゃいます。
友人宅のプロジェクターで映された大画面で観戦した後、どきどきしたままの心臓で渋谷に向かいました。もちろん帰宅の為ですが、今月の新建築を読んだ人なら多少察しがつくかもしれません。塚本先生がパブリックスペースの使われ方の最初の例で、W杯の日本戦後の六本木の様子を書いていました。かくいう僕はその頃も渋谷にいて、青い群衆の中で声を荒らげていた中の一人でした。今回の北朝鮮戦のマスコミの報道っぷりで若干前回のそれに近い狂乱があるのでは?なんて期待して行ったんですが、何てこともない普段の渋谷と同じで酔っ払いの若者がいて、環状に座り込んでだべっている連中がいる。号外すらでている雰囲気がない。
少しのがっかりを携えながらも、そうだよねっていう納得の思いで原宿まで散歩しました。結局、今回の試合はあくまでもドイツW杯の最終予選の1戦目で、しかも相手は格下の北朝鮮。いままでの日本ならこんなことで渋谷で人が暴れだすはずもない。結局、報道によって過剰に煽られた北朝鮮との政治的関係はサッカーには関係なかったんですね。明日のワイドショーはなんていうかわからないけれど。ただもし日本が負けていたらどうなっていたんだろう?とは思ったけれど、きっと渋谷は同じように静かだっただろうし、原宿にはほとんど人がいなかった。神宮前の僕の研究室がやっている現場を見てから、いつもどおりの原宿から電車に乗りました。